さて、甲府から今度は身延線で南に向かいます。甲府から出発してしばらくは笛吹川と釜無川が作り出した甲府盆地の風景を楽しむことができ、鰍沢口駅から山地に入ります。鰍沢口に入る手前から進行方向の左右に山地が広がります。右側(西側)の進行方向側に見える山が櫛形山地で左側に相当する目の前の山が御坂山地です。
身延線から見える御坂山地
櫛形山地と御坂山地は兄弟のような関係でできた山地でもあります。今から2500万年前、日本列島は、まだユーラシア大陸のヘリにあり、特に、東北日本側の多くは深海域にありました。
そして、今から2500万年から1500万年前くらいにかけて、日本列島部分が大陸から離れて日本海が形成しました。東北側と西南側は当時は別々の動きをしてながらくっつき、さらには元々直線上に並んでいたものが現在のような逆くの字の配置になるという激しい地殻変動がありました。
日本海拡大の後(約1500万年前〜現在)、今度は南側の現在の伊豆半島にあるように噴火によりできた海洋島が、フィリピン海プレートの沈み込みとともに日本列島に衝突して日本列島の一部となっていきました。その海洋島が、身延周辺にある櫛形山、御坂山地、丹沢山地、伊豆半島です。
プレートとともに動く海洋島の図
それぞれの海洋島が日本列島の一部になったのは、櫛形山が1200万年前、御坂山地が900万年前、丹沢山地が500万年前、伊豆半島が100万年前です。伊豆大島などの伊豆諸島もいずれは本州の一部となると考えられています。
元海洋島の現在の配置
さて、ここまでに記述した日本列島の地殻変動を示す地域のことをフォッサマグナと呼びます。身延線沿いのフォッサマグナを象徴するような場所を2カ所紹介します。
1カ所目は身延山頂です。
身延山は日蓮宗総本山として、多くの巡礼者と観光客を集めています。身延山頂には奥之院という寺社があり、そこまでロープウェーで行くことができます。身延山頂は標高1,153mあり、展望台の目の前には富士川が流れ、天守山地の先には富士山がそびえます。左側(北側)には八ヶ岳とともに奥秩父まで続く関東産地の山々が続き、右側(南側)は伊豆半島と駿河湾まで見渡すことができます。
このように遠くまで見渡すことができる景色はフォッサマグナと呼ばれる大断層が作り出す長い谷地形が続くためです。目の前の富士川の標高は200m以下なので、身延山頂の目の前は900mくらいの標高差を見渡すことになります。
2カ所目は湯之奥金山と下部温泉です。
湯之奥金山は戦国時代に稼働していた、黒川金山と並ぶ甲斐国の代表的な金山でした。湯之奥金山は毛無山の登山道沿いにあり、金を含む地層(金鉱脈)の近くには採掘や精錬を行うための村がありました。この村の跡は現在国史跡の中山金山遺跡としてわずかにその面影を残しています。
湯之奥金山の金鉱脈は、約530万年前(5.3Ma)前後の火山活動にともなってできたと考えられています。今から500万年くらい前のこの地域では、丹沢をはじめとする複数の火山活動の痕跡が認められていることから、フォッサマグナ地域の地殻変動に関連した火山活動が活発な時期であったことが伺えます。
さて、身延線で静岡まで行ったところで、東海道新幹線で東京に戻ります。座席は是非進行方向左側のE席に座りましょう。静岡を出発して間もなく身延線で通ってきた富士川にかかった鉄橋の上を通ります。富士川橋梁です。新幹線がこの橋を通過するとき、電車からみる富士山は麓からそびえています。東海道新幹線沿いの最も有名な撮影場所と言っても良いでしょう。富士川橋梁も明治の鉄道敷設とともに建設された橋で、1888年(明治21年)に完成しました。
富士川から富士山を望む
さて、東海道新幹線ができるもっと前、元々の東海道線は箱根周辺では山の標高差があるため、昭和初期までは現在の御殿場線の線路を走っていました。
丹那トンネルは1913年にルートが決定し、1918年に着工されました。しかし丹那トンネルルートには断層が通っており、多くの湧水が溢れ、さらには崩落事故や関東大震災など、工事は難航を極めました。数々の苦難の末、ようやくトンネルが開通したのは着工から実に16年後の1934年です。丹那トンネルが開通した後は東海道線のルートは丹那トンネルのルートに変更になりました。
東海道線新幹線に乗ってしまうと、静岡の先は小田原か新横浜まで止まることはありませんが、東海道線で戻る場合は、清水駅から美保の松原に行き、富士山の景色を堪能してから海の幸を堪能することもできますし、熱海か箱根の温泉を経由して帰っても良いでしょう。
もし、ちょっと足を伸ばし、熱海で降りて伊東線に乗って下田に向かうと進行方向左側には伊豆諸島の島々を見ることができます。目の前に広がる海の深さは1,000m以上あり、その深海底ではプレートが沈み込んでいます。プレートの沈み込みは海の水を地中深くに運び、その水がマントルに入ることでマグマが生まれ、火山となります。伊豆諸島はそんなふうにして生まれた火山たちです。そしてこの火山たちはプレートの動きに従って長い時間の後に、櫛形山、御坂山地、丹沢、伊豆半島のように本州にくっつくと考えられています。
さて、ここまで鉄道とフォッサマグナの成り立ちについて書いたところで、改めて地図を見てみましょう。
こうやってみると、中央線は元海洋島がくっついた場所の北側を走り、身延線は櫛形山地と御坂山地の間、富士急行は御坂山地と丹沢山地の間、御殿場線と東海道線は丹沢山地と伊豆半島の間を走っていることに気が付きましたか?
国土地理院地図の3D地図に鉄道ルートを記入した図
元々の海洋島は1つの山地になっているので、間にできた断層に谷地形が発達し、高低差が少なくなるので鉄道が通りやすい地形でもあるのです。機会があれば、富士山を囲む列車で巡ることで、大昔から現在にかけて、日本列島のダイナミックな大地の歴史を是非感じてみてください。
注:本編は、2022年度に実施した湯之奥金山実習テキストを改変した内容です。