冬のスキー地学実習レポート
今回の実習では、石打丸山スキー場から見える景色を観察しながら、プレートテクトニクス理論に基づいた日本列島の成り立ちとともに、気候の変化、明治から昭和にかけての日本の近代史など、地学をメインに関連分野について総合的に学びました。
本日のスタート地点は群馬県JR前橋駅で、バスで越後湯沢石打丸山スキー場に向かいます。
群馬県から新潟県に入る前に関越トンネルを通ります。
関越トンネルの下り線は1985年(昭和60年)、上り線は1991年(平成3年)に完成しました。
利根川と魚野川(信濃川の支流)流域を分ける中央分水嶺谷川岳の下を通ります。
長いです。
ここは川端康成著「雪国」の冒頭に描かれた「国境の長いトンネルを越えると雪国であった。」のモデルとなったトンネル(小説は上越線用の清水トンネル)です。

トンネルを越えると、、、雪は降っていませんが、道に残っている雪の高さが一気に高くなりました。やはり雪国。

本日お目当ての石打丸山スキー場に到着します。 ウェアに着替えたり、スキー靴を履いて準備をします。

準備ができたところでゲレンデへレッツゴー。 スキー指導は本多先生です。まずは準備体操を行います。


次は、参加者のスキー技術のチェックです。 ドキドキ。

全員、ボーゲンで降りることができるということが判明したところで、麓まで一旦降ります。

中央リフトで上に登るともうお昼です。
お昼ご飯は、新潟産の材料を使った石打丸山名物「海と山の旨みのカレー」を食べます。
海と山の旨みのカレーは、石打丸山スキー場の目の前に広がる六日町盆地(またの名を魚沼盆地)で作られているお米を使い、ルーは新潟の海で採れた魚介類などを出汁にしています。
六日町盆地で育つ米は、あの日本有数の美味しいと言われるブランド米南魚沼産コシヒカリです。お水は谷川岳の水です。

六日町盆地を流れる魚野川は谷川岳の雪解け水が沢を降り、六日町盆地を潤し、信濃川に合流して新潟平野から日本海に注ぎます。海と山の旨みのカレーは魚野川(および信濃川)流域で得られた多くの材料が賄われており、谷川岳から流れる水、六日町盆地で育つ米、新潟で採れた魚介類を食べながら、地学との関わりを意識できます。
開発者である野上建吾さんから、カレーの材料の産地の説明や、ゲレンデ食として特徴を出すためのメニュー開発秘話、石打丸山スキー場の歴史などを教えていただきました。

食事の後、日本列島周辺の3D地図を見ながら、日本列島を構成する4つのプレートと石打丸山スキー場周辺の地形の関係について確認しました。

食事でお腹を満たしたところで、午後の実習再開です。 いよいよ、リフトで一番高い場所まで登ります。


目の前に広がる六日町盆地。
歌の歌詞のように、自然が雪や太陽をつれてレビューを見せにきて、しばらく地球が止まった気持ちになります。
スキーで滑る前に、事前学習やバスで聞いた説明のおさらいとして、目の前に見える六日町盆地、六日町断層、越後山脈、魚沼丘陵の位置を再確認します。

今から2500万年以上前、日本列島の原型は大きく2つに分かれてユーラシア大陸のヘリに存在していました。そして、2500万年前から1500万年前にかけて、2つに分かれていた日本列島の原型は、地球表面を構成するプレートの動きによってユーラシア大陸から離れ、2つの塊が1つにくっついて、その間が陸からの土砂で埋められました。
この土砂で埋められた部分がフォッサマグナです。フォッサマグナは明治時代に日本に近代地質学を導入したエドムント・ナウマンというドイツ人によって発見され、名付けられました。フォッサマグナはラテン語で「大地の溝」という意味です。
現在、地質学的なフォッサマグナのエリアは、西の境界が糸魚川ー静岡構造線で、東の境界の一部が新発田ー小出構造線と考えられています。六日町断層は新発田ー小出構造線の南端にあたります。
説明を聞いたところで、目の前の六日町盆地を見ながら滑ります。



一回、滑った後、再度、山頂までリフトで登り、山頂リフトの麓で、今度は谷川岳側の地形を観察します。


谷川岳の向こう側が関東平野であり、谷川岳に積もった雪が溶けて魚野川となって流れて六日町盆地を作り、信濃川に合流して日本海に流れます。
一方、谷川岳の反対側に降った場合、利根川に流れます。谷川岳を構成する岩石は今から数百万年前の火山活動でマグマが冷えてできました。その後、今から300万年前に東日本を中心に日本列島の隆起が始まり谷川岳も隆起していきました。300万年の間に500メートル上昇し、3000メートル風化で削られて、今の2000メートルたらずの高さになったと考えられています。
谷川岳の標高が高くなったことで、シベリア寒気団から日本に吹いてくる風が日本海を渡る際に水分を含んで谷川岳を上昇する際に、標高とともに気温が下がり越後湯沢に大量の雪を降らせ、スキー場ができました。
目の前に広がるダイナミックな景色は、長い時間をかけて地球によって作られたかけがえのない景色であることが実感できましたか?
この日は谷川連峰山頂が雲で隠れていたので、晴れた日の解説入り写真はこちら。

残りの時間では、グループをスキー技術で2グループに分けてコースを滑り、地形観察を行いました。



実習後は帰りの道が渋滞したため、残念ながら越後湯沢駅は寄らずに通過して高崎へ戻りました。
立ち寄ることのできなかった越後湯沢駅にも少し触れましょう。
越後湯沢駅には上越線の父と呼ばれる、上越線と清水トンネル敷設に人生を捧げた新潟の政治家岡村貢と南雲喜之七のレリーフが置かれています。

江戸時代が終わり、明治の開国とともに日本各地に鉄道が敷かれ始めた時代、越後湯沢から東京に出るには標高の高い谷川岳が壁のように聳え、回り道をしなくてはなりませんでした。そして、冬には大量の雪が降り、経済活動も行いにくく、地元から出稼ぎに出る人も多くいました。
この土地で生み出された産物が東京で多くの人に届き、出稼ぎに出ることなく、冬も家族とともに暮らしていく生活。
多くの人がこの地に訪れて地域経済が成り立つ生活。
この地に住む人々がそんなささやかで当たり前の生活を願った時代は、今から150年から100年前にかかる時代の話です。
その時代に初代清水トンネル建設を働きかけたのが岡村貢と南雲喜之七です。
彼らの清水トンネル建設構想開始からトンネル完成までは実に50年近くかかっています。
初代清水トンネルの建設には、国家プロジェクトとして大きな予算と人が投じられ、当時の最先端技術が導入されました。その一方で、トンネル工事では事故も起こり、44名の死者と135名の負傷者が出ました。
当時の人々のほとんどは、すでにこの世の人ではなくなりました。しかし、スキーシーズンの越後湯沢駅の賑わいを一目見れば、彼らの子や孫をはじめとする多くの人々が、試行錯誤しながらも、トンネル建設とともに人々が描いた未来を令和の時代に実現していることがわかるのではないでしょうか?
その後、現在に至るまでの間、谷川岳の下には、上越線用の新清水トンネル、上越新幹線用の大清水トンネル、自動車用の関越トンネル上下線と3つのトンネルが通っています。
夢と犠牲の両方を経ながらも当時の人々が実現した、近代日本の光と影を色濃く映す清水トンネル。
今の私たちの暮らしにも大きく関わっています。
興味が出たら是非みなさんも調べてみてください。
講師コメント
今回、初めてのスキーを利用した地学実習を企画、実施しました。当日は限られた時間ではありましたが、参加者の皆さんが雪の大自然の中で、我が身一つで移動しながら大地に向き合うという、地学の基本的な魅力を実感してくれたらとても嬉しいです。
教科書や説明、地図観察で理解した日本列島のプレートテクトニクスや成り立ちについて、現地を移動して地形をみると、「なるほど、こういうふうに見えるのか。」ということがじんわりと実感できたかと思います。
石打丸山スキー場ほど地質学的な特徴が見えるスキー場は珍しいものの、日本各地では、それぞれの地質学的特徴が見られるスキー場が多数あります。その理由としては、スキー場は景色の良い傾斜地に作られることが多く、その傾斜の多くは、火山や日本列島の広範囲の隆起の歴史を経た場所という点があると思います。その観点で見ると、日本では、温泉の近くにあるスキー場が多かったり、鉄道や高速道路とのアクセスを考えられた場所に作られていたりします。それぞれのスキー場にみられる地学との関わりを調べていくと、国土の51%を占める豪雪地帯に対する国の社会インフラの関わりなど、探究活動のヒントがたくさん詰まっていることに気がつくのではないかと思います。 (小俣)
スキー地学実習への参加、お疲れ様でした。主にスキーを担当した本多です。短い時間でしたが、私自身、皆んなと一緒にスキーを楽しむことができました。それ以上にこの実習は脳のトレーニングになりました。
石打丸山スキー場から見る六日町盆地や山並みがどのような地学的意義を持っているのか、清水トンネル・大清水トンネル・関越トンネルの関係や歴史、南魚沼郡の水や食べ物などいろいろ教養が身につきました。
「ブラタモリ」でお馴染み”博学”タモリさん(昔は裸でイグアナのモノマネをしていたのですがねww)が「何故、生活に必ずしも役立たない教養を身につけた方が良いのでしょうか?」と問われた時、「教養の数だけ遊びが増えるから、楽しみが増えるから」と答えたそうです。確かに何気に見ていた風景や空腹を満たすだけの食事だったのが、いろいろなことを知っていると関心を持って、見ること食べること全てが楽しくなってきますね。
若い皆さんも好奇心旺盛にいろいろなことを勉強したりチャレンジしていってくださいね。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とチコちゃんに叱られないように!(本多)
今回、このスキー&地学実習イベントに参加させていただき、たいへん充実した内容で楽しかったです。
皆さん、どうもありがとうございました!
スキーは、アンチエイジング?!?で生涯スポーツだと思います。立てるうちは一生続けていきたいです。自然を相手に山の中の雪上にシュプールを描く、自分の通った軌跡を振り返ることができます。綺麗な左右の大小のターン、細かいジグザグ、時にはまっすぐのラインなど、爽快です。周辺の山や田畑の名前がわかれば、その地史にも思いが寄せられて、楽しみがより一層深まりますね。
ゲレンデによっては、趣向を凝らした地元産の郷土料理のメニューがあります。旨味カレー、美味しかったですね。
是非、今後も冬〜春の楽しみとしてスキー実習を計画にいれてください。(木戸)
参加者/保護者アンケートコメント
謝辞
本実習は公益財団法人東京応化財団の助成金により実施されました。
今回の大人数の地学実習実施にあたり、石打丸山スキー場運営アルピナBI社岡田拓史様はじめスタッフの皆様には、実習がスムーズに行くよう各所ご支援くださり、誠にありがとうございました。
事故なく無事に実習が無事に終了しましたこと、ルールを守ってくださいました参加者はじめ、各所にご配慮・ご支援くださいました関係者の皆様に感謝申し上げます。