中山金山について
山梨県身延地方には複数の金山があります。
中山金山は山梨県南部身延町にあり、近隣の内山金山、茅小屋金山とあわせて湯之奥金山と呼ばれています。
中山金山の金鉱脈は、最近の研究結果によると、新第三紀(約1500万年前)の地層に対し、530万年(5.3Ma)前の火山活動にともなって形成した石英閃緑岩体の石英脈中にみられます。このことから、中山金山の形成は530万年前と考えられます。
身延地域に存在する他の金山は、たとえば、常葉にある第一妙法鉱山などは、新第三紀(約1500万年前)に形成した黒鉱タイプと呼ばれる金山で、中山金山とは形成した時代も形状も異なります。
日本列島の形成史をみると、第一妙法鉱山が誕生したような時代(約2200万年〜1500万年前)は、当時、まだユーラシア大陸の縁辺部にあった日本列島の土台が大陸から離れて日本海が形成し、現在の日本列島の形になった時代です。第一妙法鉱山は日本海拡大の末期に形成した金山と言えます。
そして、中山金山は日本海拡大の後(約1200万年前〜現在)、今度は現在の伊豆半島にあるような海洋島(伊豆島弧)がフィリピン海プレートの沈み込みとともに日本列島に衝突した時代に形成した金山です。
元々、日本列島は東北側と西南側は別々の島としてユーラシア大陸の縁辺部に存在していました。そして、大陸から離れて日本海が拡大するとともに両方の島がくっつき、現在の日本列島に近い形状になりました。
日本列島の継ぎ目を作った地質帯を北部フォッサマグナと呼び、伊豆島弧の衝突に伴い形成した地質帯を南部フォッサマグナと呼びます。
身延地域に存在する、これら2種類の金山は、南北のフォッサマグナと呼ばれる、日本列島形成の歴史を物語る場所でもあるのです。
フォッサマグナの場所
現在の新潟、長野、山梨、静岡に広がるフォッサマグナ域の特徴の1つは数多くの金属鉱山が存在することです。そして、この地域は戦国大名であった武田信玄とその子供である武田勝頼が支配した領地と重なります。
武田一族は最強の騎馬軍団を持ち、その武力を支えたのが活発な金山開発と言われています。中山金山は戦国時代には活発な操業がみられ、江戸時代まで鉱山の創業が続けられてきました。
中山金山は1989 年(平成元年)から3年にわたって湯之奥金山遺跡学術調査が実地されました。その結果、中山金山と甲州市塩山の黒川金山は、戦国時代に砂金に代わって金鉱脈を採掘して金を採取するという現在にも引き継がれている金山開発のはしりであることが判明し、平成9年9月2日に国史跡に指定されています。