身延地域の地質

八ヶ岳山麓から見たフォッサマグナの景色

身延地域の地質

身延の地質の特徴を一言で言えば、「フォッサマグナの歴史を凝縮した場所」です。

フォッサマグナとはラテン語で「大地の溝」を意味する、日本列島の東西と南北を二分する地質の境界エリアです。 明治時代に日本に西洋の近代地質学をもたらしたドイツ人の地質学者であるエドムント・ナウマンは、調査中に立ち寄った八ヶ岳山麓から甲府盆地に流れる釜無川の先にそびえる70km先の富士山を見て、この地形が日本列島を横断する溝のような不思議な地形であることに気が付きます。彼は、その地形をフォッサマグナと名づけました。

中山金山の項目でも説明したように、フォッサマグナのうち、北側は、日本海拡大(2500~1500万年前)に伴ってできたもので北部フォッサマグナと呼び、南側は北部フォッサマグナ形成後に伊豆弧の本州衝突(1500万年前以降)によってできたもので南部フォサマグナと呼びます。

身延周辺を流れる富士川の西側を見ると、櫛形山や身延山の西側にフォッサマグナの西端である糸魚川静岡構造線という名前の断層があります。 この断層を挟んで西側の地層は白亜紀から新第三紀(1億数千万年前~約1,500万年前)と古く、東側は新第三紀(約1,500万年以降)と地質年代が大きく変わります。

その理由は、西側の地層は元々ユーラシア大陸と一体だった時代から徐々に南下した時代の地層でできており、東側の地層は日本列島が南下した後に今度は現在の伊豆諸島のような海洋島が南側から日本列島にくっついた時代の地層でできているためです。

身延山の北側にある櫛形山地から御坂山地、丹沢山地、伊豆半島は元々本州から離れた海洋の火山島でした。これらの島々はフィリピン海プレートが北上するのに伴い、日本列島にくっつき、そのまま本州の一部となりました。

これらの地質活動が作った地形が山梨の歴史と文化を生み出したと言っても過言ではないでしょう。